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なぜセクシャルブランドを始めたのか?
友人と食事中のこと。
私が「パートナーに性行為を誘われても、気分じゃなかったら断ってる」と言うと、
「ありえない。それで浮気されても文句言えないからね」と友人。
そんな考え方があるのかと衝撃を受けた。
友人曰く、「二人でしかできないんだからしたい方に合わせてあげるべき」とのこと。
わたしは、「相手の体調や精神状態よりも自分の性欲を優先したいと思うパートナーなんて、大切な私の人生にはいらない」とはっきり思った。(実際にそう伝えたかもしれない)
なぜ彼女はそう思うに至ったのだろう、という疑問が頭に棲みつくようになった。
すべてのことは地続きである
結婚をしてから(夫も私も不本意ななか)社会から夫の所有物のように扱われることが多くなり、いちいち苛立ち、抵抗していた。
そして2020年、世界中が一時停止したとき。
スタイリストになってからの10年間、ノンストップで働いてきたわたしにはファッション以外に学びたいことがたくさんあり、強制的にストップさせられたことでそれが実現可能になった。
お金や政治、社会の仕組みについて…
いろんなことを学ぶうちに、友人が自分の気分よりもパートナーの性欲を優先してしまう理由や、誰かの「妻」であるわたしが社会から夫の所有物のように扱われる理由を知った。
それに加えて、
母が高圧的な父と別れなかったこと。
自営業の父が仕事の無い時期に昼間からお酒を飲み、引きこもり生活をしていたことや、若くして亡くなったこと。
そして私自身、毛嫌いしていた父に似たような高圧的な男性に惹かれたこと。
学びを進めるうちに、個人の責任だと自分に言い聞かせ溜飲を下げていた事柄が、社会構造によるものだと理解できるようになった。
友人の不安と私の苛立ち、母の諦めと父の重圧。
みんな、自ら選んでいるように見えて、実は選ばされていたのかもしれない。
知らなかった頃にはもう戻れない
それからは、霧が晴れたかのように視界がクリアになった。
「パートナーの性欲に応えないと浮気される」と思うこと
「不機嫌になられるくらいなら」と耐えること
パートナーから雑に扱われることに慣れてしまうこと
これらに文句を言わず上手くかわすことが賢い女の条件だと思うこと
そうなっていたかもしれない自分を含めて救いたいと思うようになった。
なぜならそれらは、絶対に個人の問題ではないと思ったから。
それはフェミニズムの問題でもあるし、心理学の問題でもあり、社会の問題のようにも思えた。
そして、わたしたちがそういう状態に陥いる原因には日本の性教育の不十分さがあるのではと思うようになった。
わたしが広めたい“性教育”とは?
性教育というと、身体の機能についてや、避妊、妊娠・出産などの生殖についてを思い浮かべる人が多いと思う。少なくともわたしはそうだった。
実は日本の義務教育では「はどめ規定」により快楽・性的同意・ジェンダー(など)については触れないという制限がある。
「教えることで興味を持ち、性交年齢が早まる」ことを懸念して、らしいが現実はSNSやポルノなどの間違った情報から学ばざるを得なくなっている。
実際に、性教育先進国であるオランダでは幼少期から性教育を始め、周りのヨーロッパの国に比べて初性交年齢が高い傾向にあるそう。
身体や生殖について知ることはもちろん大切だ。
でもわたしは日本の義務教育では教えていない部分、快楽や性的同意を知ることこそが、人が健全に生きる基盤になると考えている。
例えば、快楽について
もし性行為を“関係を繋ぎ止めるための手段”と捉えたり、
性行為で感じる不安、痛み、恐怖をこんなものだと放置し続けるのはセルフネグレクトのようなもので、身体だけでなく心までも鈍感になり不感症になっていく。
そして、自分の感情が感じ取れなくなると自分との信頼関係が築けず、周りの人や社会からの評価が自分の価値だと思い込む可能性がある。
そして、性的同意は性行為時のものと認識されているが、日常生活に置き換えると
「自分のNOを伝え、他人のNOも尊重する」こと。
日本人は性教育で教わっていないことに加え、日本語の複雑さから(これはわたしの推論ですが)NOを言い慣れていない。
自分自身のNO(嫌という気持ち)を軽視していると、他者のNOにも鈍感になり重要じゃないと軽視するようになる危険性がある。
これが社会に常態化してしまった結果が、現在の日本のワーカホリックやブラック企業、モラハラに繋がっていると思う。(もちろん不同意性交にも)
身体や性をどう捉えどう扱うかは、セクシャルな意味を越えて人権の問題である。
ありえたかもしれない過去と未来
若い頃、友人のプレゼントを買いに友人数人でアダルトショップに行ったとき、
店員に「冷やかしなら帰れよ」と言われ追い出されたことがあった。
彼は女性にも性欲があり顧客になることを知らなかったのだろうか?
日本には男性向けのアダルトグッズやショップはたくさんあるけれど、女性向けのものはまだ少ない。(よく知られた事実として、欧米ではドラッグストアに女性向けプレジャーグッズが売っている)
そのブランディングされていない状態が女性自身さえも“性欲は女性のものじゃない”と思ってしまう原因なのではないか。
もし、日本にも女性が買いやすいショップやプロダクトがあり、性を生殖だけでなく快楽としてもちゃんと扱われていたら、私たちの恋愛観はどう育っていただろうか。
もっと幅広い性教育(包括的性教育と呼ばれる)を受けていたら、女性だけでなくあらゆるジェンダーの人がもっと生きやすくなるのではないか。
そう思うようになりブランドを始めた。
新しい章のはじまり
ひとつの仕事しかしてこなかった私は、地図も持たずに新たなフィールドに出て、まあ大変打ちのめされた。
ブランドを始めると決めてから、リスクを背負いながらも新しいことを始めた人たちが目に入るようになった。コンフォートゾーンを抜け出し、まだ理解が少ないジャンルを自らの手で進むことは想像以上に大変だろう。
新たな人生の章を始める人たちへの賞賛をブランド名に込めた。
いつかこれが全く新しいことではなくなることを目標にしている。